ゴッホ~全自画像、カラスのいる麦畑、星月夜

ゴッホの言葉のこのような言葉がある。
「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」

点火、爆発、炎上、沈没といった印象の強いゴッホ。
キリスト教の伝道師を経た後の27歳から37歳までわずか10年の彼の絵画人生は、耳切り事件やピストル自殺など、古今東西の芸術家の中で屈指の波乱に満ちたものになった。
「絵画は狂気に対する避雷針だ」という彼の絵は痛々しいまでの誠実さに満ちています。
彼が描いたのは貧農ばかりで、“ピアノを弾く御令嬢”なんて絵は一枚もないことがわかる。
「伝道師として挫折した私は絵画を通じて、救い、救われたかった」、そういうことになるだろう。
結果、彼の生涯で売れた絵はたった一枚だけ、それも友達の妹が買ってくれたものだった。

収入のない彼を支えたのは弟のテオ。
テオは兄の絵の最大の理解者で「兄さんにお金を送ることは自分に送っていることと同じなんだ」と貧しさを訴える妻に弁明していた。
絵に魂を奪われたゴッホを周囲の住民は怖がり、住民投票で彼を精神病院に入れるべきだという決議がなされ、彼は病院に行くことになる。
彼はさらにその中でも描き続けた。

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