9月 18
カミーユ・クローデル
icon1 art | icon2 芸術家, 彫刻 | icon4 09 18th, 2009| icon3Comments Off

今回は、有名な女性芸術家、カミーユ・クローデルについて詳しく紹介しますね。

女性彫刻家カミーユ・クローデル(フランス:1864-1943)は、19世紀彫刻史のなかでもひときわ異彩を放つ作家の一人です。
それは、フランス近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダンの弟子であり、愛人であるという波乱に満ちた生涯が人々の心を魅了するのに加え、彼女の作品そのものが物語性や演劇性に満ちた高い完成度を示しているからでもあります。
カミーユ・クローデルの作品には、動的なポーズや激しいエネルギー、肉感的な肉付けといった点でロダンとの影響関係が見られる一方、文学的な主題や物語的、自伝的要素など彼女独自の幅広い主題のバリエーションが見られるのが特徴です。

カミーユ・クローデルはどのような人生を送ったのでしょうか?
カミーユ・クローデルは、彫刻家ロダンの弟子、助手、愛人だった女性彫刻家。
詩人で劇作家、外交官で日本大使もしたポール・クローデルの姉もあります。
名声を獲得しながらも、巨匠ロダンの影響力から脱却しよう、超えようとするうちロダンとの愛に破局を迎え、精神に参りその死まで30年間も精神病の療養所にいたと言われています。
故郷に帰りたいと願っても家族に拒否された果ての死。お墓も残っていないのです。

こうした彼女の波乱に満ちた人生は確かに多くの人々の共感と涙を誘うものです。
カミーユの作品は、みずみずしい感性と鋭い観察力を元にした彼女の溢れんばかりの才能や個性的であろうとしたその姿勢が特徴です。
そして何より激しい力をはらんだ動的なポーズと肉感的で輝くばかりの作品の肉付け。
物語性や演劇性を帯びた独自の世界で一方で愛の安らぎを願う親密な世界を表現しているのです。
もちろん、師のアルフレッド・ブーシェやロダンがいなかったら彫刻家カミーユ・クローデルは形成されなかったと思うのですが、彼女は非常な才能と個性の塊として19世紀彫刻の中で異彩を放っているのです。

3月 20

「私が残念に思うのは、やっと何でも上手く表現出来そうになったなぁ、と思うときに死なねばならぬことだ」
とはミケランジェロ89歳の臨終の言葉です。

超美形のダ・ビンチやラファエロと違って、彼は自分の容姿の醜さに深いコンプレックスを抱いていた為、その反動から美に対する憧憬が非常に激しかったと云われている。
彼が生きていた頃、ローマは発掘ブーム真っただ中で、彼は続々と発見される彫刻遺跡の修復責任者でした。
しかし千年前の素晴らしい彫刻を前に、「ここまで美しい作品は私の手に負えない」と彼は発掘現場からしょっちゅう逃げ出していたという。

システィーナ礼拝堂の壁画群に描かれた人間の数は400人と云われている。
当初は弟子と共に5人で取り組んでいたが、短気かつ完全主義者の彼は「違う、そこはそうじゃない!もうええ、ワシが描く、お前ら家に帰れ!」と爆発、結局一人で土を練って絵の具を溶き、マル4年の歳月をかけて描き上げたと伝えられている。
完成後「誰が何と言おうと、も~天井画は御免だ」と嘆く彼の背骨は変形し、落ちて来た絵の具の雫の為に失明寸前だったらしい。

そして忘れてはならないのが数々の彫刻作品です。
マリア様の衣のひだなど、その作品の柔らかさ、あれは絶対に石で出来ているとは思えない。
無宗教の僕も彼の作品の前に立つと、さすがに神は実在しないと言い切る自信が失せてしまう程です。