3月 6

ゴッホの言葉のこのような言葉がある。
「私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい」

点火、爆発、炎上、沈没といった印象の強いゴッホ。
キリスト教の伝道師を経た後の27歳から37歳までわずか10年の彼の絵画人生は、耳切り事件やピストル自殺など、古今東西の芸術家の中で屈指の波乱に満ちたものになった。
「絵画は狂気に対する避雷針だ」という彼の絵は痛々しいまでの誠実さに満ちています。
彼が描いたのは貧農ばかりで、“ピアノを弾く御令嬢”なんて絵は一枚もないことがわかる。
「伝道師として挫折した私は絵画を通じて、救い、救われたかった」、そういうことになるだろう。
結果、彼の生涯で売れた絵はたった一枚だけ、それも友達の妹が買ってくれたものだった。

収入のない彼を支えたのは弟のテオ。
テオは兄の絵の最大の理解者で「兄さんにお金を送ることは自分に送っていることと同じなんだ」と貧しさを訴える妻に弁明していた。
絵に魂を奪われたゴッホを周囲の住民は怖がり、住民投票で彼を精神病院に入れるべきだという決議がなされ、彼は病院に行くことになる。
彼はさらにその中でも描き続けた。

3月 2

光と影の魔術師、魂の画家レンブラントです。
金色の光に照らされて闇の奧から浮かび上がる人物たちは、聖者も妻も商人も誰もが神聖かつ崇高な空気で包まれています。
その生涯において、最初の妻に先立たれ、息子夫婦にも、そして2人目の妻にも先立たれた上に、裁判所から破産宣告を突きつけられ全ての絵を競売用に没収されたレンブラントです。
晩年の彼が描いた何枚もの自画像には、いつまでも続く激痛にとうとう慣れてしまった、いわば“達観”した静かな目がそこに描かれている。
凄惨な体験が逆にもたらした穏やかなその目は、一度見ればけっして忘れることが出来ないだろう。
400年も昔に、しかも遠くオランダの地に生きていた彼のことなど、絵がなければ当然僕が知るよしもないです。
だが絵を見た瞬間彼の存在感がハートをわしづかみにし、どんなに孤独な状況下でも“僕にはレンブラントがいるじゃん”と一気にに救われるこの現実に絵画の奇跡を見た気がした。

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