4月 8
緑の黒髪
icon1 art | icon2 豆知識 | icon4 04 8th, 2008| icon3Comments Off

もともと緑は色のなまえではありませんでしたから、この表現はべつに変ではないのです。
「芽出る」が語源らしく「みどり」というのはおそらく、ピチピチの状態。自然界なら木々や草が青々と茂る様子を言ったのだろうと想像できると思います。
みどりは生物の活き活きとした生命感です。
生まれたばかりの若々しい様子、それらを形容する言葉だったのです。
「みどりご」という言葉があると思います。
みどりごは漢字では嬰児とあてますが、この「みどり」もやはり生命感、生まれたばかりの若々しさからきています。

4月 8
芸術作品に隠された黄金比
icon1 art | icon2 豆知識 | icon4 04 8th, 2008| icon3Comments Off

古代ギリシア以来「神の比」とまで呼ばれた黄金比。
人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされています。
縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく見えるといいます。

黄金比はヨーロッパでは古くから最も美しい長方形として親しまれてきた。
ルーブル美術館に所蔵のミロのビーナス、パリの凱旋門、ギリシャの遺跡パルテノン神殿、ピラミッド、富嶽三十六景、ニューヨークの国連ビル、またモーツァルトのソナタやベートーヴェンの交響曲第五番、さらにバルトーク、ドビュッシー、ストラディヴァリウスのバイオリンでこの「黄金比」が利用されています。
歴史上の芸術作品の中に存在する黄金比。
古今東西の芸術家は意識的に、もしくは無意識のうちに黄金比の比率を織り込んだのか。

その意図は誰も知ることはできない。

4月 3
棟方志功~釈迦十大弟子
icon1 art | icon2 版画 | icon4 04 3rd, 2008| icon3Comments Off

彼は版画を板画と呼んだと伝えられている。
小卒で右目しか見えない彼は自ら“板極道”と名乗り、彫刻刀で全世界に分け入った。
大作『釈迦十大弟子』は下書きなしで彫ったもので、この作品がベネチアで国際版画大賞を受賞した時、彼はこう語った。
「私が彫っているのではありません。
仏様の手足となって、ただ転げ回っているのです」。

4月 1

世界で一番有名な日本の画家は北斎だと思います。
北斎は人物画、風景画、歴史画、漫画、春画、妖怪画、百人一首、あらゆるジャンルに作品を残しています。
しかもそれぞれが超一流です。
『富嶽三十六景』は構図の美を極めたシリーズで、画中のどこに富士を配置すべきか計算し尽くされている。
荒れ狂う波や鳥居の奥、時には桶の中から富士が覗くこともあり、アイデアの限界に挑んだ作品です。

3月 27

その目で地獄の様なスペインの対仏戦争を目撃し、人間の暗部の生き証人となったゴヤ。
聴覚を失い自己と対話することが多かった彼は、その晩年、誰に注文を受けたわけでもなく、非公開を前提として自分の為だけに14枚の連作『黒い絵』を完成させた。
我が子によって滅ぼされると予言を受けたサトゥルヌスが、産まれてくる子を次々と殺していくギリシャ神話を描いたものです。
底なしの流砂に呑まれていく一匹の犬が、わずかに地表へ頭部を突き出している絵。
どちらもショッキングな作品だが、サトゥルヌスの目には狂気と哀しみが錯綜しているし、犬の方は吠えることも止めて虚空を見つめており真の絶望が胸に迫ってくるような気がする。
単なる残酷な絵ではないことは確かではある。

3月 25

ドラクロワといえば『民衆を率いる自由の女神』が最も有名だが、彼の真骨頂はもっとダークな絵になるだろう。
地獄で亡者に襲われるダンテの絵や、降伏直前の王宮内で繰り広げられた大虐殺の図などは、公開当時はあまりに衝撃的で女性が失神しまくったと伝えられている。

3月 21
ルーベンス~十字架上げ、十字架降下
icon1 art | icon2 画家 | icon4 03 21st, 2008| icon3Comments Off

彼は言わずと知れた、『フランダースの犬』のネロの勇者様だ。
赤い色がうまく出なかった為、ルーベンスが自分の血を混ぜたというこの2枚の巨大な絵は、一枚はキリストを打ち付けた十字架を立てる瞬間を描き、もう一枚はそこから降ろしている途中の劇的瞬間を描いており、その圧倒的迫力は絵の前に立つ者全員を無口にさせた。
ネロがずっと観ることが出来ず苦い涙を飲み続け、ついに最終回でその目で観た後、あの世への片道切符となったこの2枚の絵。
私も幼い頃は涙を流して眺めていた。

3月 20

「私が残念に思うのは、やっと何でも上手く表現出来そうになったなぁ、と思うときに死なねばならぬことだ」
とはミケランジェロ89歳の臨終の言葉です。

超美形のダ・ビンチやラファエロと違って、彼は自分の容姿の醜さに深いコンプレックスを抱いていた為、その反動から美に対する憧憬が非常に激しかったと云われている。
彼が生きていた頃、ローマは発掘ブーム真っただ中で、彼は続々と発見される彫刻遺跡の修復責任者でした。
しかし千年前の素晴らしい彫刻を前に、「ここまで美しい作品は私の手に負えない」と彼は発掘現場からしょっちゅう逃げ出していたという。

システィーナ礼拝堂の壁画群に描かれた人間の数は400人と云われている。
当初は弟子と共に5人で取り組んでいたが、短気かつ完全主義者の彼は「違う、そこはそうじゃない!もうええ、ワシが描く、お前ら家に帰れ!」と爆発、結局一人で土を練って絵の具を溶き、マル4年の歳月をかけて描き上げたと伝えられている。
完成後「誰が何と言おうと、も~天井画は御免だ」と嘆く彼の背骨は変形し、落ちて来た絵の具の雫の為に失明寸前だったらしい。

そして忘れてはならないのが数々の彫刻作品です。
マリア様の衣のひだなど、その作品の柔らかさ、あれは絶対に石で出来ているとは思えない。
無宗教の僕も彼の作品の前に立つと、さすがに神は実在しないと言い切る自信が失せてしまう程です。

3月 15

総作品数、2045点にも及ぶ。
光というつかみ所のないモノを、見事にキャンバスの中に閉じこめることが出来た奇跡の画家としても有名。
モネ以前は“雪は白く、影は黒い”とされていたが、モネが「私は影や雪に様々な色が含まれていることを発見した」と語るように、この印象派の旗手は美術界に色の革命を起こした。
たかが一個の積みわらに、一体何色の色がちりばめられていることか。
対象物を輪郭線で囲むのではなく、線を使わず色の塊として表現する…当時の画壇は本当に目からウロコだったであろう。
睡蓮にしろ大聖堂にしろ、日射しが違うだけであれだけ同じモノを描き続ける執念に脱帽した。

3月 10

“ノートの落書きすら名画”といわれるほど、そのデッサン力の素晴らしさは他に例を見ないだろう。
絵のうまさは他の素晴らしい画家と比べても群を抜いている。

それにしてもつくづくモナリザは不思議な絵だと思う。
写真がなかったあの時代、生きた証となる肖像画では、どこの誰が描かれているのか分かるように、人物は家紋の入った服を着たり特徴的なアクセサリーを身につけるものだが、ダ・ビンチは彼女に指輪、イヤリングなど全て外させ、服なんかアピール度ゼロの黒生地だし、わざと身元不明にさせてるとしか思えない。
彼女の顔は片方が微笑んでいるのに一方は悲しんでいるし、背景に至っては左右の地平線がずれていて景色も全然違うことになっている。

これはどういうことなのかゴッホしか知ることができない。

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